モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

小さな陽だまりくらいあってもいい

体調いいのでブログでも書こうと思う。私は特に何も考えず、つらつらと浮かんだ言葉を紡ぐ。私は誰かにとっての小さなヒーロになりたいと最近になって思った。資格でもない。想いだと、思う。困ってる人がいた時に考えるよりいつだって先に飛び出せるか、どうか。私はどうだろう、よくわからない。言うのは簡単。でも、実際には、わからない。でも、困ってる人がいた時に、私は飛び出した時がある。最後にありがとう、と言ってくれた。余裕がなく、苦しい頃で、それなのに、その言葉は、とても、私を勇気づけてくれた。偽善だと、家族は言う。そうだと思う。綺麗事だ。それでも、その綺麗事を抱きしめて、走り抜けたい。憧れ、だと思う。そういう風に生きれたなら、いいとたった一人、眩しい世界の、ちっぽけな背中に、焦がれた。私はかっこよくはあれない。中途半端だし、ださいし、みっともない。知ってる。わかってる、つもり。だからこそ、だよ。綺麗に、手を伸ばすのは。光の気配に、涙を流すのは。本物に焦がれるのは。どうか、どうか、世界は酷いけれど、残酷だけれど、小さな陽だまりはあって欲しい、というちっぽけな願いを。あ、ぁ。書いていて悲しくなった。悲しくて、虚しくて、また泣く。おやすみなさい。