モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

罪とは贖う意思の輝き

私は、私のあらゆる罪と思わしきものを十字架に引っ掛けているのを見る。十字架それそのものはただの金属の塊だった。私はクリスマスツリーのように私が罪だと思うもので飾られた十字架に触れてみた。指が凍えていくのも構わずに。俯瞰すれば、無数の十字架の星が宙に浮き、輝いていた。


思うのだが、輝きというのは意思ではないのかな。忘れまいという意思、贖う意思、諸々の意思。その意思は自由ではないのだろうが、それでも、輝きは強烈だ。自由というのは、不自由だからこそ輝くようにね。なんてね。


触れたのは興味、いや違うな。私は魅せられた。輝きに、存在感に、記号化し得ぬものに。指が凍えていったのは何故かな。触れた時に泣く声を聞いたのは何故かな。疑問が尽きない。これだから心的な世界を旅するのはやめられないんだ。


指が凍えたことについて。私の手が燃える十字架もあった。私を取り込む十字架もあった。となると、十字架によって性質が違うのだろうね。ただ共通しているのは意思だ。凍えたのは私を拒んだからではないか。燃えたのは無邪気に遊ぼうとしたからではないか、取り込まれたのは寂しいからではないか。


不思議なんだけど、どうしてそう感じたんだ。