モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

いつもありがとう。

初めは飛び降りでした。

なんとなく階段を登って二階から飛び降りました。


好きな人が自殺したこと、職場で仕事を覚えられないせいで長続きしないことと、お客様に私のミスで怒られたにも関わらずストレスで気絶してしまったこと...

そういったことが積み重なって、飛び降りたのだと思います。


それからは家に閉じこもるようになりました。

何もやる気が起きずに、家でだらだらしていました。

勉強も働く気も起きない。


そんな私は家族からしたら理解出来ない存在です。

そして人は理解出来ない存在を遠ざけるものです。

私と家族の距離は離れていきました。


それからは気がついたらお金がなくなっていたり、知らない場所にいることが増えてきました。


病院では鬱病解離性同一性障害と診断されました。


それと今まで仕事が覚えられなかったのは発達障害がのせいだとも主治医に言われました。

そして普通の職場では働けないとも。


私は普通の人より劣った存在だったのです。


それからは自暴自棄になって自殺未遂を何度もやらかしたりして、閉鎖病棟に入院したこともあります。


私と家族の溝はますます深まりしました。


そんな私を支えてくれたのがツイッターでした。

入院する時や辛いときに暖かい言葉をたくさんもらいました。

何度も泣いたことがあります。


私は普通ではないし、他人より劣ってるのかもしれない。


それでもそんな私に暖かい言葉をくれる人がいる。


それが何よりの励ましでした。


いつもありがとうございます。


ツイッターがあったから、フォローさんがいたから、私は今を生きてるのです。