モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

言葉の限界

私は言葉によって思考する。けれど、言葉には限界があると最近感じるようになりました。例えば、りんごが好き、という記述は背後に言葉にし得ないものを秘めているように感じるけど、私はそれを知覚し得ない。言葉にどうしてもできない。もどかしい。


どうしてそう感じるのかと言いますと、その言葉の向こう側にあるものに心が動かされることがよくあるからです。


その言葉の背後にある記述できないものは、私が発した言葉を含め、私なのだと感じます。こう言えるのではないでしょうか。言葉とは背後に潜むものを記述しようとするもの。でも、いつだって言葉は無条件で良いものではなくて、時には記述してほしくないようなものまで照らしてしまうこともある。


無意識というのは、拒まれた私の言葉、背後に潜むものの、行き着く先だと思う。"私"である以上は、私に取り込まれていくのに、流れが断たれてしまったから。思うのだけど、もしも、この症状が無意識からのメッセージであるなら、拒んだ言葉を今一度拾ってあげて、認めてあげたらいいのかな、なんてね。