モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

思考、まとめ、規格品について

元来、我々の社会には人々を規格化(資本主義に適合した人々=多様性の損ない)する力を持つ権力が内在していて、その権力は我々にまで及び、我々は無意識の内に資本主義に適合するように育てられていく(権力の内面化)



....規格化する力もその枠組みに内面化されて、その権力は《規格品としてのわたし》を私に要請する....


....その要請に内外問わず答えられない規格化において失敗したような障がい者などが排除されてしまうのはある意味で必然的なのかもしれない....



規格品(資本主義に毒された人間、権力の奴隷)は、一つに、人間を生産性があるか、否かで判断するようになるだろうと思う。


...私たちは内面化された権力の要請を素直に受け取り画一化する過程で必然的にあのような生産性云々の資本主義的な思想に毒されはしているけれど、何故かその事実に盲目になっているのだと思う...


しかし、私たちは従順な身体に育てられたので、権力に疑問を抱きづらく、もしも疑問を抱くような人がいた場合は狂人として排除されるような構造があるのだと思う。


私たちは教育で命の尊さを学ぶけれど世の中は、いや、そこで生きる人々がその教えを踏みにじるようなことを平気でやってしまうのはそこにあると思うんだ。

例えば、ALSは呼吸器を付けたままだからというような理由だったか、病院は儲からない。

儲からないから、在宅医療をおすすめする現実がある。



そのほうがQOLが上がるよとか、色々なもっともらしい理由をならべておすすめするんだ。

でも、

在宅医療はまだまだ問題も多く、現場では苦しめられていると聞く。


そんなはずない!

人間は生産性云々ではない!


というけれど、世の中に、私たちに内在する権力の構造そのものをどうにかしない限りは私たちは毒されたままだ。


「一つの規格品で構成されたシステムは致命的な欠陥を抱えることになる....この行き着く先は緩やかな死だ」

という草薙素子さんの言葉。


画一化された集団は、例えるならば、同じ工場で生産される商品のようなもので、誰もが同じ欠陥を抱えることになる。


その一つに、

多様性を失うことによって柔軟な対応力を失うということが挙げられる。


柔軟に対応しづらくなってしまえば、例えば、ある一つの摩擦(クラウゼヴィッツは戦場においてあるコントロールが不可能な要因、例えば、天候などによって、遅延が発生する可能性を指摘した)が発生した際に全くもって柔軟な対応が出来ず(役に立たない)、悪化の一途を辿り最悪は全滅するという可能性がある。