思考のまとめ。優子。
1.生を獲得する闘争の中で生き残りたいならまずは思想を確立しなさい。土台に思想があって初めて闘えるのです。
2.特攻隊は英霊ではなく、人間性を剥奪され、一器械にされた被害者だ。この国はそれだけ残酷なことをしてきた。しかし、そのことに目を向けずに、安易に神格化の如く英霊とする精神性は、低級なナショナリズムに通じます。私は現状を大変に危惧しております。
4.私は必死に命を繋いできた。困難な道のりを歩んできたと思う。死にかけたことなら何度もある。そうして今の私が形作られていったのだと、考えると、思考もまた、その一部なのだ。良い悪いの次元では測れない。私はあえて変えるつもりはない。誇る気もない。ただ、これからも歩んでく。それだけだ。
5.解離という、人格の分裂の悲劇性をホロコーストで例えてた人の文書を読んだ時、なんだこの人と思った。被害者の悲劇性は、私たちには分かり得ないことだと思う。映画、ショアーでスレブニクの発言「それ(ホロコーストの悲劇性)を物語るなどできない。だれも、想像できない。不可能だ」
悲劇性で劣ると言いたいわけではない。比較などナンセンスだ。ホロコーストを持ち出して、自身の悲劇性を語ることに無理があるといいたいのだよ。だれもあなたの悲劇性はわからない。あなたは孤独だろう。やはりそこまでして訴える背景にはそれがあるのではないかと考えてしまい、縁を切るに留めた。
7.分かり得ないことは、語ることで、語り得ぬことの版図を広げ続けるという信仰を放棄する態度には繋がらない。
8.いまの人類に必要なのは信仰に他ならない。
夢飼、まとめ
1.一つのネットワークに僕たちがアクセスしてるから、会話が成立する。
2.アップデートは自動ではなく、意識的にせよ、無意識的にせよ、操作的である。最新版へとアップデートしていかなければ、そのまま、人々から取り残された、ガラパゴス化された人間になるだろう。良くも悪くも、人間は個ではなく、集団なのだ。「人間はポリス的動物である」
3.アップデートがむつかしい立場の人間は、集団から中途半端に分断された個人という状況に陥るのであって、そうなると一番の問題はそういう状況の人間を、どれだけ社会を構成する人々が問題視しているかという姿勢なのであって、無関心だったりすると、社会全体が不健全になるだろう。
4.集団から中途半端に分断された人間とは、要するに、社会という場において、様々な社会問題の顕在化する隅っこの方に追いやられた人間であるので、社会を構成する人々が何かしらの救済措置を考えないと、社会全体がじわじわと病んでいくだろう。そして、現状、社会は取り返しのつかないくらいには病んでいるように見受けられる。
生きてればこそ
生きてれば十分なんだよ、私は。生きる為なら、汚い言い訳もするし、ボロカス言われようと、逃げるし、自分が負うべき責任を放りなげるし、泥だらけになって、涙を流して、しょんべん漏らして、這い蹲ってでも、生き残る為に、足掻き続ける。死ねばそこまでなんだ。ほら、明日を望むことも、平穏を獲得することも、大切な思い出も、死ねば、平等にあらゆるすべてが解体されて、雲散する。よく生きようなんて、ソクラテスの様な魂の配慮は、私にとって、Dioの言葉を借りるなら、便所のネズミのクソにも匹敵するくだらない物の考え方なのだよ。ここは戦場なんだ。流れ弾もある。理不尽もある。裏切りもある。最悪なものは何でもあるんだ。幸せだって、椅子取りゲームだ。誰かが得をして、誰かが損をするようになっている。私の持ってるものは、強者によって取り立てられる。少なくとも、神も、仏も、私の味方じゃあなかった。私は孤独だ。正しいか、悪いかなんて問題にすら上がらない。草食動物の皮を被った弱肉強食を体現したような動物の腹の中に僕はいる。勝ち、負けが、あるなんて幸せなほうだと思わないか。私は負けすらない。勝ちは万に一つだってない。億に一つだってない。もう何もない。奪われ尽くされた惨めなボロカスが、路上に転がって、他人は嫌なものを見たような、あるいは無関心で、すれ違っていくだけだった。足掻いて何が悪い。生き汚くて何が悪い。相手から取り立てて何が悪い。汚い言い訳して何が悪い。自分の負うべき責任放りなげて何が悪い。生きてこそじゃないか。
体調悪いので、書いた。
悪い天使を従えて、夜の魔王は少女のもとに訪れた。星空を映す瞳に嫉妬して、両目に手を翳すと、両方の瞳を、遥か彼方に滅んだ、悲しみに泪する亡霊の、彷徨う、かつての王国の宝物庫に隠してしまった。少女はいつしか星空を忘れていった。少女は嘆いたけど、泪を流す瞳はなく、代わりに、牢の外の花園。揺れる花々が泣いた。涙が宝石となって、きらめき、落ちた。やがて夜の魔王は少女が瞳を取り戻しにやってくるのを恐れた。そうして少女を朝から晩まで暗い地下室に繋いだ。少女は歩むことを忘れるまで、何度も何度も、外に出ようとしたけど、叶わなかった。やがて諦め、いつしか歩むことを忘れていった。力をすっかりなくして、静かに横たわっているのは!沈黙の中で吐息が弱々しくなっていくのは!花々のふりふり泣く声をお聞き。そこに行けば少女に会えるかもしれない。
俯瞰落下死
淡い月光に濡れた夜桜を迷い込んだ公園で眺めております。跳ねる雨の音が煩く、花弁の落つる音はただただ静かにございます。汚れちまった桜が、雨水に流されて遠くに消えて行きます。私はふと、高い場所から、この場所を俯瞰している様な感覚に苛まれます。私も桜です。私は風に舞い、地上に落ちて行きます。雨に流されて、遠くに行きます。もう淡い月光に照らされていた時の様な、妖しい美しさはなく、ただ泥にまみれたように汚れきった私がいるのでしょう。-俯瞰落下死
夢飼、思考、まとめ
僕は少なくとも善人じゃない。夢飼
1.他者の幸福を願ってはいるが、純粋な動機としてではなく、むしろ、他者が幸福な状態であることで、人間存在の醜さを露呈しないだろうという期待に基づくものであり、なればこそ、私は人間存在の醜さから安全を確保できると考える。従って、私の願いの根底には自己保存の欲求があると思われる。
2.プーフェンドルフの、自己保存と社交性は矛盾しないという言葉がある。
社交性は、言うなれば、仁愛と言えると思うけど、僕からしたら人間は危険な存在という前提がある。従って危害がこちらに向かないように他者に思い遣るのではないかと、思った。その危険性を自覚して尚、純粋に、利他的に、他者に仁愛を向けられる存在が善人だとするなら、僕は少なくとも善人じゃない