モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

生きてればこそ

生きてれば十分なんだよ、私は。生きる為なら、汚い言い訳もするし、ボロカス言われようと、逃げるし、自分が負うべき責任を放りなげるし、泥だらけになって、涙を流して、しょんべん漏らして、這い蹲ってでも、生き残る為に、足掻き続ける。死ねばそこまでなんだ。ほら、明日を望むことも、平穏を獲得することも、大切な思い出も、死ねば、平等にあらゆるすべてが解体されて、雲散する。よく生きようなんて、ソクラテスの様な魂の配慮は、私にとって、Dioの言葉を借りるなら、便所のネズミのクソにも匹敵するくだらない物の考え方なのだよ。ここは戦場なんだ。流れ弾もある。理不尽もある。裏切りもある。最悪なものは何でもあるんだ。幸せだって、椅子取りゲームだ。誰かが得をして、誰かが損をするようになっている。私の持ってるものは、強者によって取り立てられる。少なくとも、神も、仏も、私の味方じゃあなかった。私は孤独だ。正しいか、悪いかなんて問題にすら上がらない。草食動物の皮を被った弱肉強食を体現したような動物の腹の中に僕はいる。勝ち、負けが、あるなんて幸せなほうだと思わないか。私は負けすらない。勝ちは万に一つだってない。億に一つだってない。もう何もない。奪われ尽くされた惨めなボロカスが、路上に転がって、他人は嫌なものを見たような、あるいは無関心で、すれ違っていくだけだった。足掻いて何が悪い。生き汚くて何が悪い。相手から取り立てて何が悪い。汚い言い訳して何が悪い。自分の負うべき責任放りなげて何が悪い。生きてこそじゃないか。