モナムール

解離性同一性障害が、寛解するまでの独り言

単一性の持続の、危機

煙草を吸ってると、反社会的な行為をしているような気分になる。
こういう風に感じることは、つまり、この社会は少なからずそういう風に動いていて、私はその中へと巻き込まれているのだろうか。

ゾッとした。
私は、少なからず単一性の持続に危機的状況に陥っているのではないだろうか。

現代ではあらゆる情報は媒体を通して、あらゆるレベルで、拡散されて、例えば、snsでの個人の愚痴から、事件による報道など、情報が共有化されていく、そのスピードがとても早い。
技術の発展によって、これからも、そのスピードは加速的に早くなるだろう。

結果的に、みんなの言動が似た者に収束されていくという現象が発生するのではないか。

個人はその単一性を徐々に喪い、個ではなく、皆んなである、そんな人間が、現代では増えてるように思えてならない。

私の言動の中に、反社会的な匂いを感じ取った私は、少なからず、私自身が、みんなという意識、あるいは無意識に内包されていたのではないか。
それは、まさしく絶望の始まりではないか。

情報は並列化された時点で、少なからず、動機なき他者の無意識に内包される、
あるいは、動機ある他者の意識に。


寄生虫の操り人形

ぼくの愛は、シナプスの発火なんだ。

そして神経に火炎がめぐる...。」

そういって彼、ヨアンは黙り込んだ。


あるイデアを捉えるようと試みるように言葉を探してるようだった。


その焼け付くような世界を歩いた果てには何が待っているのか聞いた。


彼は聖母マリアのように微笑んだ。

そして、光を闇に垂らした。


「堕ちた楽園があるのさ」


ああ、真っ赤に染まった終わりの世界。

堕ちていくのは楽園だったのね。


教会で神父様がお祈りをされていた。

シスターの歌が響き渡る。


「君はイデオローグですらない。

そう、君は寄生虫の操り人形なんだ」

bugia。思考のまとめ

1.僕には依存性人格傾向、つまり他人との分離に恐怖を抱き、従属的な行動を行い、他人から援助を受けようとする傾向を示してる節があるけれど、障害と診断されるような域にまでいってはいない。まだ潰せるんだ。これが無理そうになったら、全てを閉ざす覚悟くらい、僕にはあるよ。


2.私たちのケースだと、強迫性障害は、私という人間の分化と、バランスの崩壊だったよ。かくあれという理想に立つ私と、こうあるという現実に立つ私が色濃く分化した。前者の私が力を持ちすぎるから、後者の私の優先すべき課題やその手段の遂行に障害が出た。要はバランス感覚が大事なんだ。


3.私の救世主願望(メサコン)の裏には他人に認められたい、受け入れられたいという複雑な感情が渦巻いているよ。確信が得たいんだ。こう君に認められてる、受け入れられてる、ってさ。必然的に他人の評価、批判に敏感になる。こういうとこが回避性パーソナリティ障害に通じくるんだよね。


4.医者に統失を疑われたが、僕という人間の外的現実と、内的現実を繋ぐ道は閉ざされてないので大丈夫だよ。僕はあらゆる世界を偏在しながら散歩していて、その世界は内的現実が主だけど、ちゃんと外の世界にも道があって一定の理解がある。自由に出入りできる。声を届かせられる。



異質を排除することの愚かしさ

私の立つ場所は、そのつど固有の関係性の場だ。固定的ではなく、流動的で、そのつど新たな関係性の出来事を生み出しては消え去る不断の生成の運動。こうして生成されたものが意味として我々の眼前に立ち上がってくる。

非安定化した空間と空間、場と場の、間を次々に分節しつつ固有の場を作り出していく。私とはあらゆる空間、場に偏在し、固有の関係性の場に直面する存在だ。ここでは、異質なものとの関係性の中に置かれる。異質なものと、私が交わった瞬間に、未知の出来事が生成される。

強迫症の治療について

強迫症のケース1。去年の夏頃だっただろうか、優子さんが症状を呈して、私たちが調べて、模索して、寛解した症状ではあるので、医師には話したけれど、実際に診断書は貰ってなく、断定ではなく、過程の話だと思ってくだされば幸いです。しかし、私たちは一応、強迫症症状の可能性が高いと、症状に病名を定着させ、その上で病気について理解を深めると同時に、私たちのケースとして独自性を十分に承知した上で、様々なアプローチを試みた。強迫症障害は、分裂症と大きく違う点は、強迫的な観念の上に形成された世界に取り込まれてるか、否かであると思うので、分裂症の場合、取り込まれてしまれていて、現実界からの自分が消失することで、異なる法則性、世界、ルールの元で生きることを強制されるようになるので、誰の言葉も届かなくなるのだけど、強迫症の場合は、現実的な脅威として外側から一つの世界に私自身が脅かされてしまうのであって、まだ現実界に魂が残ってるので、自他の言葉が届く可能性がある。この場合の自己とは、現実界との回線の繋がった、私A。妄想に取り込まれると回線が断絶する。これだけでも、まだ解決の目はあった。解決法は不合理な一つの世界の私への侵襲を、これはある種の病気だと外部から認識した上で(病識を持つ)、言語と云う光に照らし出し、暴き出すことだった。そうしてしまえば、上書きも可能だろうと思った。世界が無数に現れては、消失していく流れの中で、時に、思わぬ方向に私に影響を及ぼすものあれば、殺すものある。不可解な衝動性に飲まれ、言語化しようにも、言語と肉体が同一化したような、そうしてしまえば肉が裂けるような、幽霊的なものに、どうして外出もままならなくなった、と自分に問えば、呻き声しか聞こえなかった。症状から根を探す作業は困難だった。少しずつ言語化を試みて、世界を望む流れに修正していった。そうして二ヶ月あまりで症状は消失し、一応は寛解した。

生きること。続き。

最近になって漠然と思うことを上手く言語化できそうなので綴ります。無名です。自死と云うのは、私が死ぬのは勝手だと思い、未遂を、それはそれは繰り返してきました。しかし、実際に残された遺族の方の記事を読んで、よくSNSに散見される、自死がある種の暴力を孕んでいると云う言説を馬鹿げているものだとする考えを、私は改めざるを得ませんでした。私が未遂して病院のベッドで再会にした母親はどの様な心持ちだったのか推し量れはしませんが、私は母の心をめった刺しにしたことには変わりないのです。そして何より、私自身に対しても心をめった刺しにしてきたのだと思います。私が死ぬ分には勝手だと云う論理はやはり多分に自己本位で身勝手だと実感します。私は別段、誰彼の自死を否定したり、考えを強制させたい訳ではなく、ただ単に、私が死ぬ分には勝手だと云う論理を振りかざして、未遂を繰り返して、他人の、また自分の、心をめった刺しにしておいて、自他を省みることなく生きてきたのはあまりに未熟であると云うことに今更ですが、思わずには考えずにいられないのです。日に日に弱っていく母親の顔が過ぎります。友達の送った文面から哀しい匂いがします。私自身、悲しくなりました。こんなつもりではなかったのにと弁解の様なことを思うのは未熟さの露呈でしょうね。さりとて、私は依然して、歩むと、必ず選択肢に自死がありますし、その選択肢に魅力を感じてますし、惹きつけられる何かがありますし、もう生きる気力を失ってます。どうすればいいのか分からないのです。けれど、止まることは違うと感じるので、分からない中で、分からないなりに、どうすればよいのか模索していきたいと思う次第です。

生きることについて。

特に何も考えずに、綴っていくのはよくないので中心となるテーマを考えてます。自己紹介ですが、私の名前はなく、無名です。今日は生きることについて書こうと思います。私は思うのですけれど、生きるだけで凄いことなのだと思います。世間は生きることが当たり前だと見做されて、プラスαが要請されているので、当然のこととして、大半の人々の内心では生きることは、大したことではないと云う位置付けなことでしょう。それ故に苦しまれてる方もいることだろうと思います。実際に病気を患うなどすると、生きると云う営みが如何にハードルが高いか実感して、されど周りの人間に大したことなどないと冷笑的な態度を取られて、自身でさえ、この生きることの難しさを否定的に捉えて、当然の如く、生きることに精一杯でプラスαなどない自分自身に葛藤を感じる人は多いのではないかと思います。私の経験上、生きることは途轍もなく、難易度が高いです。されど、死ぬと云うことも、また難易度が高いので、強制的に、まるでゾンビの如く、生の孤島で生かされ続けてるわけです。もちろん、生きることなんて、呼吸をする様に当然の営みで、プラスαを持て余してる人間も世の中にはいることでしょう。ただ私の様な人間もいること、もしくはいたことは確かです。そして、私はもしこのブログを読んでくださるあなたが生きづらさを感じてるならば、分かってあげられないけれど、一つの肯定を与えられます。そうです。あなたは生きづらいのです。生きてて偉いのです。私はあなたを褒めましょう。と云うのも、私自身が、誰かに、私の感じてる生きるハードルが高いと云うことを、肯定されたくて、褒められたかったからです。だから、私は肯定します。褒めます。